トラウマやフラッシュバックが起きたら、
「なにかしようとしている」ことをセドナメソッドで手放す。
トラウマやネガティブなフラッシュバックがおきたとき、
精神が恐怖の支配・奴隷になっている。
トラウマやネガティブなフラッシュバックにたいして、
なにかしようとするとき、恐れている。
動物も同じように恐れていると恐れに支配される。
動物の場合はオーラソーマやフラワーレメディなどでケアすることも可能だ。
ヒーリングを送って貰う方法もあるにはある。
ここでは人間にフラッシュバックがおきた場合のことを記す。
私が性的フラッシュバックが起きるとき、
私の精神は恐怖に傾いていることに気がついた。
フラッシュバックにたいしてなにかすることは、恐れだった。
セドナメソッドの、制御欲求・承認欲求・安全欲求・分離と一体欲求は恐れからの行動だ。
セドナメソッドでは、基本的に分離と一体よりも三大欲求を手放すことが推奨されている。
いずれにせよ、これらの欲求は恐怖からの行為だ。
恐怖からの行為はフラッシュバックを強めて、本人を弱めてしまう。
私は原則、フラッシュバックに<なにもしないこと>を推奨する。
制御される場合は、相手に我慢して受け入れることで逃れようとすること。
あるいは制御される場合は、圧倒的な力で危険を避けようとすること。
安全欲求は命乞いをして逃げたり、死を受け入れることで逃げようとする。
承認欲求も恐怖に自ら命と安全を売る行為で、相手に気に入られて機嫌取りをすること。
あるいは、相手を否認する態度を取ったり、反撃したり、反対に機嫌取りをさせたり、裁いたり、我慢することなども、恐怖に精神を乗っ取られることを意味する。
恐怖から起こした行為はすべて恐怖を強めて、こちらを弱める。
フラッシュバックが起きてなにかしようと思ったらすぐに、
セドナメソッドを使って「恐怖にたいしてしようと思ったことを手放す」
そしてなにもしなくても安心だと思える状態に落ち着くこと。
これを何度も繰り返していくと、恐怖は消えていく。
なにかしようとするから恐怖はいつもぶり返す。
でもなにもしなければ恐怖はなにもできない。
こちらに恐怖がなくて<なにもしようとしない>ので、
トラウマやネガティブなフラッシュバックは弱体化していくが、
こちらがどんどん回復力が強まっていって、なにもしなくていいことがわかってくる。
トラウマに対してなにかしようと思うのは恐怖だ。必ず恐怖だ。
それを手放すと恐怖を強めることはなくなって、恐怖を引き寄せることも減り、
精神的に平安が訪れる。そうすれば怖かったことが平気だと感じられていく。
私がセドナメソッドで気づいたのはこうだ。
「私はトラウマにどう対応したらいいの?」
承認、制御、安全(すべて恐れ)
なにもすることはない(制御)
何も応じる(受け入れる)ことはない(承認)
命乞いもしないし死ぬことに逃げることもない(安全)
⇒何もすることはない。
なにかしようとすることは自分の身を恐怖から守ろうとする<恐れ>だから。
性的暴行は虐待と同様に、レプティリアンの息がかかった餓鬼に堕ちた人間が、人間をレプティリアンの奴隷にすることが目的だ。
恐怖で支配して、人間が恐怖を生み出すための装置、性奴隷、家畜にされる。
フラッシュバックはその恐怖生産装置の一種だ。
だからなにもしなければ、恐怖は生み出されないのでフラッシュバックも役目を終えていくのだ。
フラッシュバックに何も恐れを感じない人間に、フラッシュバックなんて見せてもムダだからな。
二度とそのような相手や似た空気の、人間だったものに関わることはなくなる。
暴行をはたらいて恐怖を植え付けた存在は、自ら闇落ちしたことにも気づかない餓鬼だ。
人間の姿形は関係ない。