宇宙真話-ウチュウシンワ-

人間心理、霊魂(たましい)や宇宙や巫子体質、それから精神世界のひとりごと

【セドナメソッド・感想】 暴力虐待と依存の三段手法(厳しさ→優しさ→暴行と依存)

男が女を殴る→子供が女を庇う→子供が女を庇うようになって女に利用される。今度殴られるのは女に盾にされる子供。子供は利用されていることに気づかないで、優しくしてくれる女に依存したり信じたりするけれど、男と女は精神的に結託している。

女に子供を依存させるために、男が女を殴り、女は子供に優しくして子供を依存させて、男と女で子供を殴る。

女が子供を殴る→男が優しくする→子供が男に利用される(性的暴行、制御して支配しやすい玩具代わり)。児童虐待は、セドナメソッドで言う制御欲求が満たされるとか、自分の怒りが承認されている気分で気持ちがいいとか、暴力を振るうことで恐れから開放されている気分がするとか、なにかしらメリットがあってやっている。

ここでも女から追い詰められているときに男に優しくされると「愛されている」「求めてもらえる」「必要とされている」と勘違いすることがあり、男性は優しいと勘違いする。

女と男は精神的に結託している。
本人たちにその自覚はないし被害者だとでも思い込んでいるだろう。
暴行虐待をするやつらはたいてい、だれかを悪者にして自分をお客様扱いしたがる。周りが気を使うべきだと思っている。
それが親になっているんだからたまったものじゃない。

子供はまんまと、女と男の精神的計画にひっかかり、男性から膀胱を受けやすくなる。女性に甘えられず、男性なら愛してくれると思ってなびいた結果、暴行される。

私は後者だったし、これらはあくまでひとりが対象を追い詰めて、ひとりが優しくして、アメとムチでひとりの人間を依存させて壊す方法をあてはめたものにすぎない。性別が違うこともあるし、全く他人同士が結託していることもある。

暴力虐待は、やめようと思ってやめられるものじゃない。
そんなかんたんならとっくにやめているのにやめられない以上、すでに心の病気、依存だ。
なにか快楽を得られるから暴行するのだ。
でなければ、そんな気分がわるいことを延々とつづけることなんて動物にはできない。

知能がある人間がしつっこくそれを行うってことはメリットがあるんだ。
他人を利用して犠牲にしてでも得たい、メリットが。

子供が死のうが、子供があとで暴行の後遺症に苦しもうがどうでもいいのだ。
目の前の親は、信頼できる存在なんかじゃない。

自分たちの快楽のため、怒りの解放のため、他人を犠牲にしてもいいと思っている。こういった親を毒親と言うけれど、毒は根本から感情を解放してはじめて解決される。

そういう親にも事情がある?
いつもいつも庇う人達がいるけれどなんなの?
そうやって庇って暴行は減ったか?
やめろよ、偽善は。
もしかわいそうってそうやって親の事情を汲むのなら、
いますぐそいつらに自分自身を内省させるべきだ。


そういった子供がたとえ親を殺しても、親から離れて暮らしてもなんの解決にもなっていない。なったような気がしているだけ。
どこに行こうと、関わる人を変えようと、別の人物から同じ暴行を受ける羽目になる。そのたびに親を思い出しては、ああだった光だったの感情にとらわれる。

根本を抜いてはじめて解決する。
でなければ何度でも噴出する。

私はそういった感情をセドナメソッドを使うようになる前から解放しているけれど、セドナメソッドが一番解放しやすい。
デメリットが少なくてメリットが多い。

暴行虐待は、怒りを発散したい目的があって、気に入らない口実を見つけて怒っている。怒りがあってから、暴行がある。怒りを表現すると人は気分がいいらしいが、他人に向けた怒りは必ずまったく予想もしていないところから起きる
(お金の面だったり、虐待した対象と全く関係ない人間関係だったり、病気だったり、突然の不運だったり…
それはだれにも予測できないこと)ことがあるので、いますぐ手放すことをすすめる。
返報性の法則が働くまえに、怒りの解消はセドナメソッドやほかのだれも巻き込まずに済む方法が一番安全だ。

私は女性からついぞ厳しくされていたので、優しいと思っていた父親や祖父に甘えている癖があったが、結果として、女性から厳しくされる→男性に依存する、愛されたがる→愛されたい気持ちを利用されて性的暴行を受けた。

真実なんてこんなもんだ。
大層な理由なんてない。
ただ激しくて強くて人一人じゃ足りないくらいの殺意すら感じる怒りがたぎるだけ。理屈じゃなくて、感情だった。
私は感情がわからなかったから、こうやって全員に騙されていたことにも気づかなかった。