ふだんから他人に暴行暴言を働いている人は恐怖心をごまかすために恐怖を小出しにして発散している。
恐怖に弱そうな人を見つけて、逆らってこない、我慢する、従いやすい、受け入れてもらいやすいことをいいことに言いたい放題、やりたい放題する。
でも一番怖いのは、ふだんから小出しにしている人じゃなくて、ふだんからそういう小出しにする人に脅されたり、支配されたり、欲求不満のはけ口にされて我慢している人が極限状態になったとき。
人間は極限状態になると、我慢が一回転してキレやすくなる。恐怖への耐性が一切なくなってとても浅くなる。
相手から恐怖を感じることを言われると、いままでなら我慢できたことも半狂乱を感じるほどの恐怖を感じて、キレやすくなる。
そういうことが何度も何度もしつようにその人の心のなかで起きるから、犯罪や暴行を行うことに抵抗がじょじょにじょじょに低くなっていく。
この相手から恐怖を小出しにされて受け止めさせられる我慢の反動から、我慢している人が恐怖発散を一気に行う。
そういった経緯があって、我慢してきた人が突如、犯罪を行った事後や暴行の事後に冷静になって後悔するのも弱気になるのも優しくなるのも、恐怖を一気に解消して薄れたからだ。
ただ、一時的な解消なのは小出しも一気も手段がどうであれ同じことなので根本的解決になっていないから、しつこい人たちは恐怖を小出しにしてくる。
恐怖を出しても従ってくれやすい相手に遠慮なく出してきて、”気づかれていない”と思っている。小出しにする人のほうが鈍い。
恐怖を解消する快感を得ていることが優先されて、気づく力が劣っている。そこまで頭が回らないのは、依存症の典型的な症状のひとつで、恐怖と快感の摩擦に精神も脳もどっぷり依存しておかしくなっている。精神的薬物(快楽を感じる脳内分泌物依存)とも言える。
だから、殺人のまえに自殺があり、自殺のまえに自傷行為がある。
順序で言えば、
傷つけられることに我慢する→自傷行為をする→自殺or自殺しなくてもほぼ殺人に近い自傷行為へ活発化する→殺人or自殺or毎日の暴行暴言などへ発展する。
一番怖いのは、小出しにしている人ではなく、ふだんから小出しにしている人から我慢させられていると感じている人(我慢してしまっているのは相手の恐怖が怖くて傷つきたくなくてなにもできなくなっている心理状態なので、強要ではなく我慢や服従を意思選択しているのだけれど・・・)。
我慢させてくる人にある日あるとき、毒牙を向く。殺人は自分を殺す気持ちで相手を殺す気力体力がいる。
突然殺される相手・突然殴られる相手というのは、毎日毎日、殺す人・殴る人を追い詰める自らの恐怖を相手にぶつけて解消していた卑劣極まりない屑のこともある。
まったく関係のない第三者が被害者だったとしても、その第三者もまた恐怖に我慢しやすくて抵抗が弱いと踏まれている。
恐怖の小出しにされやすい心理状態にあるということ。恐怖に我慢したり、従ったりしやすいので狙われる。まったく無作為に第三者が選ばれているのではなく、当事者が被害者に対して強い、恐怖をぶつけられると踏める相手をみつくろっている。
しかし、そこまで当事者を追い詰めたのは親やまわりだ。彼らは自分たちで解消すべき恐怖を他人にぶつけることで解消している卑劣極まりない依存症であり半病人だ。
それなのに”実行した”当事者だけを殺人者呼ばわりするのは、いかんせん、的外れだ。実行者は他にもいるのに、彼らは罪に問われず、逃げおおせるのだから。
恐怖を他人に小出しにする人は自分で処理する方法を身につければ完全に解放される。しかし、他人に小出しにすることが癖になっているなら、そのクセに自分で気づかない限り依存症のパターンも続く。助けてほしいなんて言っているのも依存症のパターンが有るなんてことは珍しくない。
小出しにされる人は、小出しにされる人に狙われやすいものがある。
怖いから従ってしまいがち、怖い人に逆らえない、怒られるのが怖い・暴力暴言が怖いからちぢこまってしまう、あるいはキレやすいなど、恐怖が強い。
小出しにしてくる相手よりも恐怖が強いと「反応」しやすい。
反応するとは、恐怖に反応しやすいということ。
恐怖に反応しやすいと、小出しにしてくる相手からの攻撃を受ける前から防御力は落ちていて、さらに反応してしまうとさらに防御力を落される。
なので我慢なんてぜったいにダメ。従うのもダメ。
小出し相手が反応させてくるのは、弱めるためだ。
恐怖に反応すると、それだけ防御が落ちて相手の思うつぼになる。
だからセドナメソッドなどでとことん暴力暴言、相手に感じやすい恐怖を手放しておくと防御力は元の状態より強くなっていく。
そして反応すると弱められてしまうのだから「なにもしないほうがいい」ことにに納得がいく。何もしなければ小出し相手は何もできない。
反応させれば弱められる。そこで恐怖を与えて弱めてやろうと企んでいる相手は、すでに恐怖を持っている。恐怖を持っているからこちらに自身の恐怖を与えようとする。
しかし、それにたいして、こちらが恐怖が少なくて、相手の恐怖に反応もせず観察する余裕がある。そうやってびくともしなければ、小出ししたい相手は「何もできない」。
「いいやできる!」と思うかもしれないが、これはかんたんな力学だ。
恐怖を小出しにしようとするこちらに恐怖がない、あるいは、とても少ないし弱い。
だから相手の小出し恐怖に反応しない。
相手はこちらを弱められない。相手に与えているはずの恐怖は相手のもとに残り続ける。
この状況で不利なのは小出し相手の方だ。
恐怖がより強いやつがその場で不利になる。恐怖に屈したやつが負けて恐怖で打ち負かしたほうが勝つ。
それなら、こちらに恐怖がなければないほど、恐怖を持っていて弱っている小出し相手よりもやられるはずの予定だった人のほうが有利になるのだ。
こういう小出しするタイプはいつも、恐怖を出せる相手を狙うほど暇だし、だれかいないかと探しているほど情緒不安定なのだ。
その相手に対してこちらに恐怖がなかったら?意見だってビクつくこともなく言えたら?そっちが怒っているのをこちらがじっと観察してきたら?
自分の恐怖は自分で飲み込め。
こちらが気づいていないと思ったら大間違いだぞ。
もっと言えば、最初から恐怖にビクつく状態を手放しておけば、彼らは「こいつなら攻撃しても安全だ」と思えず、近づいてこなくなるので予防もできる。