こんな事を言って、ネガティブな結果になあったらどうしようとか。
死人が出たら?とか。
悪い死に方(悪い結果だったら)したらどうしようとか。
また狙われて殺されるんじゃないか、脅されるんじゃないかとか。
これぜんぶ結果なんだよね。
死に方(終わりかた)も結果なんだよね。
死は死。
どうあってもそれは結果に過ぎなくって、
死ぬ間際までエネルギーぎんぎんでうっはうはでいることが、
経験値稼ぎのプロでしょ✨( ・ิω・ิ)キリッ
死に方なんて気にしているのは、
結果にこだわって恐れているからだ!!!!!
いい生き方
いい死に方
良い死に方
悪い死に方
これ全部、結果で、ジャッジ。
だから、セドナメソッドや人生のテーマに上げるのは、
「よい生き方、よい死に方をしたい」を変えて、
「私はすごくいい生き方をするし、すっごくいい死に方をします」って決めちゃうこと。
もう結果は決まっているんだから、あとはそのエンドロールに向かってステップ(挑戦する、その結果に向かって走る、問題解決という終わりじゃなくって望みに向かって突っ走っていく、途中でバテてもOK!意欲があればAIIOK!!ただ挑戦wp楽しむ意欲があればO・K!!!)
たとえば「それはできない」「自分は無理」って思っている部分を取り外して身軽になったり、とことん開き直って、望みが叶ったら私は具体的にこれがうれしいわ!とセドナメソッドを書いたり。もううはうは気分になるとか。
あーそういうことかって書いていて思う。
あーエイブラハムやみんなが「いい気分に焦点を当てる」とか「望みにフォーカスする」ってこういうことかーって。
この人(存在)たちって、「自分で納得してほしい」と思っているから、けっきょく自分の心のスイッチを押せるのは自分だけなんだよね。
実際、私なんて馬鹿正直に反発していたもん笑
まあ実際、人間でもなんでもそうだと思うけれど、
動物って「そうしなさい」って言われると真っ向から反対に向かうんだよね笑
バカ素直に真っ向から反発して、正反対に行く笑
おいおいおいどこにくんだよ!そっちじゃないよ!って方に行ってしまうんだよな〜笑
はい!!!!
そんな心のスイッチを押したい人、
素直にまっすぐ前に進みたい人に、
セドナメソッド!!!!笑
で、それを無理に抑えつけるのが恐怖とか結果主義のジャッジ。
喜びが少なそー。それにこうやって結果結果って口ではいいながら、挑戦を楽しんでいる”うそつき”もいる。
そういうやつの口語説明とか発言って苦手なんだよね笑
「フィジカルタイプは口語で論理的に説明できるタイプじゃねーじゃん」って思うから。私が思考タイプだから、ズレが有ると気持ち悪くって笑
もういいよ口語は、あんたの振る舞いを見たほうが早いからってなる。
そういう口語やテキスト説明に特化しているのは口語・メンタルタイプで、話を聞いて楽しみたいなら、口語が美味いやつや、自分のことわかっているやつと話したほうが面白い。
人に聞かせようって頭を働かせている人は、感覚語じゃなくて口語が発達しやすい。
だから芸人さんや落語家の人達はめっちゃメンタルタイプってことになる。
魔の作り方とか、順序立てて演出する口語は自分がわかってから話せることだから。
一種の演出だしね。動作で覚える人もそうじゃないのかな?
カチッとハマる感覚があって、動作で現れているんじゃないのかな?
自転車にパッと乗るときみたいにね。乗れるって知っているからいちいち乗り方なんて考えない。やりゃあいいんだよフィジカルは。頭で考えるものじゃない、物理にたいしては。包丁とか危ないものはメンタルが絡んでいても、自転車なんて乗って覚えるものだし。スポーツはまさにフィジカルの極みだよねえ。
ほかにも、歩くっていう動作をいちいち考えないように、考えずにできるのが、フィジカルの熟達した状態ね。
口語が面白い人って、説明できるって人はそこまでちゃんと熟達してきた人だから。
その人がにつけるまでのプロセスを観察してきた人だから。
感覚語の人って感覚だから、プロセスを観察していないんだよね。
わかっているようで、おいおい口と動作がずれてるぜ?ってなる。
だから説明(口ぶり)が信憑性薄くなって動作の信憑性があがる笑
感覚語の人からはその人の振りだけ見たほうがいいっていうね笑
動いて覚えるタイプが感覚語(フィジカル)なら、口語で説明するタイプが
人に説明するっていうのは、自分がわかっていて初めてできること。
こうやって口とやっていることがずれているやつは説明ができない。ド下手くそで、相手に伝えることができない。感覚語だけじゃ人間は足りないんすわ。
私は人に説明できたら「自分が身につけられた」んだって思っている。
そうしたら次のステップに進めるし、自分の成長のステップも楽しめる。
なにより他の人のステップアップの助けにもなって、人類にも地球にもいい影響で私に還元されるってわけだ。
私はお金を稼ぐ(結果)ばっかり見ていたって気づく。
なかなかいい仕事しているじゃん、私。
はじめて自分の”人生の仕事”にうきうきする笑
◎イヤな気分=結果ばかり見る、結果にだけ価値があって結果がダメならぜんぶだめ、意欲になんて全く価値を置かない、ダメ・バカ・自分には無理・不可能と自分で制限を決めてしまう(他人の制限をかけて可能性を潰すクソレプのクソ奴隷)、こんな人生はダメ・こんな思い出はダメ、結果がダメだったら全てダメ、「おまえなんかにできるわけがない」「自分にできるわけがない」と言って制御して制限をかけたがるのが口癖、人間を家畜かロボットかなんかだと思っている、能力やステイタスや「結果」がすべて、ジャッジメントばっかりしている真っ暗い世界
※書いていても気分悪いんだけれどw
◎いい気分=挑戦すること、挑戦の意欲、挑戦する意欲に価値を置く、結果に向かって走る・スキップして歩く挑戦や意欲、自分への制限から自分を開放している、「自分は無理」の枠を外して自由である、結果よりも挑戦することを楽しめる、失敗もダメな結果も大歓迎でぜんぶOK!ぜんぶ挑戦の意欲が生きているとき死んだ後の財産!、何が起きてもOK!結果よりもそれまでの経過こそ人生の宝物!、その挑戦とその意欲にこそ最大最高の敬意を払う!、その挑戦の意欲に乾杯と拍手!
※これぞ最高の自由!挑戦=無限=自分に制限をかけずに無限の可能性を信じている!他人のクソ制限なんて知るかひとりで制限かけてチビッてろよ!!!!!
これでどこが気分いいわけ?笑 これで結果出せていると思うほうがなめてんじゃねーの?てめえらがつぶしたそいつらの得るべき宝物への責任をどう取るつもりだよくそったれ。
その腐った宝物だと思っているものを両手いっぱいに抱えていて嬉しいか?
子供を殴って、他人を口で殴って、それで幸せかって胸張れるのかって言ってんだよ!!!!!
はあ、やめよ。
こうやって他人っていう「結果」を変えたいと思うのもジャッジだ。
私達から見て、他人っていうのは自分からしたら「結果」でしかなくって、粗rを変えたいと思うのって、結果に不満っすわ、結果を変えろやって言ってんだな。
やめやめ。他人っていう「結果」にはノータッチで。
親でも子供でも家族でも動物の家族でも。
すでにでている「結果」を変えたいなんてナンセンスだった。
それよりも挑戦する意欲のほうがずっと経験値稼ぎになっていーわ笑
他人っていう結果を変えるより自分が挑戦しまくってうっはうっはしているほうが経験値稼いで生きていても死んでからもマジ極楽☆笑
子供が生まれてきてくれて感謝って思える人は子どもと生きるっていう挑戦やその人生に阿智する意欲を楽しんでいる。
いっぽうで、子供をどうこうしようってのは、結果ばかり見て自分思ったとおりの結果すらあまり喜べない、喜べても一瞬で過ぎ去るから、人生は一瞬で真っ暗に逆戻りってか。笑
笑い事だよ、出ている結果は変えられないんだから、私は人生見聞きしたことを楽しむわ。楽しむことも挑戦っすわ。
暗くなるときって、結果が気に入らねーってジャッジしているって気づいていないだけだからさ。そんな暇あるならてめえが挑戦しろや、っていうね。怒られちゃうわ、自分に。
私は私が地球で死んで、挑戦グッジョブって言う人生にするんだ。