海外GAMの元ピークステイト転送会のとある主催者がだいっきらいだった。
私を人前で恥をかかせたクソババア!!!!ってずっと恨んでいた。
でもわかった。私はこのババアを愛せない。
愛せないから、愛されてほしくなかったとすら思っていたこと。
でもこのおばさんのことも愛している存在がいる。
彼らにたいしてなんて愛するの!?と激怒していたのは、
私が彼女を愛せなかったからなんだ。きっと一生、嫌い。
でも、愛されてはいけないなんて私が彼らの愛に口を出す筋合いはない。
だれがだれを、なにがなにを愛そうとそれは自由だった。
私はそのおばはんが嫌いだし愛せないし愛する気もないんだけれど、
でもおばはんが愛されようと恵まれようとそれは、愛して恵むほうの自由で、
私が制限かけるのは、違うよね。
ああそうかこんなくっそばばあでも愛する存在っているのか!!!
って気づいたら、なーんかすっきりした。
私はてめえが嫌いだけれど、それは私の感情で、
彼らを構築する一面に過ぎない。全方向から愛されだめ!!!!
ば、さすがにない(笑)私の愛を向けているわけじゃないんで、
そのおばはんが金をもらおうが愛されていようが、それはそっちのこと。
私はそのババアが嫌いだけれど、でも愛されてはいけないことはなかった。
私がこの世のゴミ!!!って罵っている存在すらも愛する存在っているわけで。
むしろあんなくそっばばあでも愛されるんだと思ったらなーんかおかしくなっちゃった(笑)なんか、ウケた(笑)
ところでこれに気づくまえに、
私は自分の幸せを真っ向からまたまたまた避けていた。
セドナメソッドで無意識に自分自身にフォーカスを当てることを、
ぐいん!!!
急カーブして避けていた。
めっちゃ湾曲に避けていた。
自分自身以外の、あれがほしいとか、仕事とか収入とか、メガネとか(また壊した)、あとはなんだ、まあそういう自分の周辺のことばっかりやって、ほんとうにじょーずに自分の幸せを避けていた(苦笑)
もうさーライフパスとディスティニーが同じ数字って、苦手意識が二倍ってことじゃないのかなー。だから目立つのが嫌だ、自分がわからない、というのが現世での課題としてどかん!!!!と眼の前に立ちはだかるっていうか(笑)
それがただLPだけじゃなくて、Dまで同じだと二倍の大きさ(苦手さ、でも必要だから避けて通れない要素)になっていそう。
なんでもそうだけれど人間ってまず、LV1から成長していく。
盾グラフを想像するとわかりやすい。
となると、得意なものは伸びやすいけれど、試練や課題、苦手として与えられたものって巧妙に避けるから、LPが苦手ってことも往々にしてあるわけで。
でもそれやっていると人生も詰まる(笑)
うまくできていますなあ。
いや得意だけ伸ばせばいいじゃん!←LPも得意分野なんだよ!
だけどなんか避けちゃう。だから伸び悩んだ。
自分の幸せから目を背けていた。向き合っているつもりだった。
無意識の巧妙さこえええ。でもこれ客観的に見たらバレバレなんだよな。
抵抗があるときってやたら避けるよねー。
自分がわかってきた。
怖いんじゃないのにやたら避ける。
何か重要なことあるときって私いつも避けるんだよなー。思うと。
怖くないのに、避ける。
別にいやじゃないけれど、なんか「うーん」となってよける。
まて、よけるな。
しかし、どうも人間には心の準備ってものがあるらしく、
いまやれる!ってときがきたら、すっと取り組んでいるのかなあって気もする。
だからほんとうに巧妙に避けていることに気づかないんだよなあ。
取り組んでみて初めて、あれ?私。避けてたんじゃね?って気づいたものなあ。
だから、母親の嫉妬や私が嫌いで、母親だけ愛されたい、嫌いな私に愛されてほしくない!!!っていう母親独特の憎しみや嫉妬も、いまの私だから受け止められる。これがベストなタイミングだって実によく感じる。
数年前の私じゃてんで、むりむり。世間知らずだったし。
精神的にほんとうにぐちゃぐちゃだったし。グレープとワインとクリームソーダにあんことクリームシチューを混ぜたような状態だった。
あのころ取り組んでいたらぜったい感情的になっていたし、受け止めきれなかった。
それでもセドナメソッドは4年前に知りたかったけれどな〜〜。
トラウマについてもずっと感情的だったけれど、ああいう人たちは私は永遠に愛することはないけれど愛する存在もいるのかって思うし、そもそも生真面目さが災いして事件事件と騒いでいたとろこもある。
実際、生真面目さ故にそれが事件化してこちら側では死人が出ているので笑い事ではない。ただそれが男性の行為が全面的に悪だったかと言うと、言い切れない。
私が割り切っているなりもっと人生に几帳面ではなく柔軟であれば、結果は違っていたかもしれないのだ。四角四面、ぬおー!!!!4の影響かー!!!!
現代数秘術だと姓名数を軽視しているきらいがあるけれど、とんでもない。
私の現代数秘術に4はないけれど、カバラ数秘術の旧姓姓名数は4だ。
数秘1とはぶつかりやすいね。だから冒険したいけれど常識や保守性が足を引っ張るっていうね。でもあくまで相性だから組み合わせられれば特に問題ない。かみあわせるまでがちょい大変なだけだったな。
しかも4も家系のカルマナンバーなんだよなあ。
私は違うけれど、身近な人たちにがっつり4と22とライフレッスン4の文字が。
共通してゴミ屋敷なので、内側や心の整理が苦手な人が4LL持ちかもと踏んでいる。
だから4LL持ちの彼女らは”整理”が苦手で秩序立ててやることが苦手。
外側の用事や組み込まれた予定はきっちり守れるのに、自分の内側となるとグッチャグチャ。そして余計に避けたがる。
これがライフレッスンに4がある人の課題だよなー。
どうも彼女たちは、家や家の人たちから逃げて、外に意識が向いてしまって、精神の整理整頓ができないから、家の中や冷蔵庫や家族関係=心の中がしっちゃかめっちゃかになりやすい。
で、片付けられないので外の予定や問題を片付けて「やった気」になっている。