宇宙真話-ウチュウシンワ-

人間心理、霊魂(たましい)や宇宙や巫子体質、それから精神世界のひとりごと

救えると思うのはただの期待だ、置いていかなきゃいけないものもある

辛い。私にとっていままで信じていたものがウソで、嘘だと思いたかったものが現実だった。
この世界は見たままの世界じゃなくて、虚構だとわかった。

よく言われている「空」というやつだ。空想だ。この世界は、生物のミルクうそうだ。

夢の中だ。いつかは終わる夢の中だ。

人は夢を誤解している。夢は五感があって痛覚もある。

眠るときに見ている夢は、夢と言われているがあれは意識状態の顕在化だ。

私達の意識が形を取ったもので、夢の中の夢、劇中劇、空想のなかの空想だ。

つまり、地続き。眠っていても起きていてもそれは地続きで境界線がない。

その夢すらも「起きてみている夢の一つ」だ。

 

私はこの世界が空想でできていることを知った。

大勢が、なにもしらないで呑気に生きていることが嫌い。

私もその世界でぬるま湯につかっていたかった。

嫌味に決まっているだろ!!!!

その先に未来はない!!!!

その先の未来の線路はぶつ切りだ!!!!!

崖なんだよ!!!!そのぬるま湯の未来は!!!!!

 

いままで目指していた普通の生き方は無知の生き方だ。

あいつらは、私の身近な人間ですらも、私をその世界に引きずり込む気でいた。

裏切り者どもめ!!!!!人食い鬼に成り下がりやがって!!!!!!!

恥を知るべきだ!!!!!!

 

あんなのもこんなのも、レプティリアンの眷属に陥るふざけた生き方だ。

人間の生活に必要なことを生み出している?

そのもう一方の面で人間が食われている。

生産の裏で、人間の消費が起きている。皮肉なものだな。

人のために働いている人間が、一方では人を陥れている。

人の生活を支えている人間が、一方では人間奴隷を存続させている。

 

そんなもの、人間がレプティリアンのゾンビに落ちる生き方だ。

その先にあるのは、血混じりの砂埃の何も見え得ない絶望の世界だ。

ああそうだな。ただ悲劇を嘆いているだけかもしれない。

私がその世界で生きられない嫌味と悲嘆だけかもしれないな!!!!

 

私にはとうてい馴染めない。

あれらの生き方は私にとって逃避だ。

見たくないから蓋をしようとしていた。

嫌だから死んでにげようとしていた。

みんなと同じ盲目になろうとしていた。

知らないフリをして生きようとしていた。

 

私にはいまそれを、空想のなかの生き方を捨てて、

本当を見て生きる覚悟を持たなければいけない。

わかっている。どこかでうすうすそうだろうなって気づいていた。

でもなかなか確信もできなくて、

セドナメソッドで家族にいい感情を抱くというテーマでやっていったら、

これがとんでもない方向に行きはじめる。

もう止めようがない。でてくるものをひたすら受け止める。

どうしようもないしどうもしようがないから、

でてくるままに書いていった。まだまだ出てくるだろう。

不都合な彼らの真実が、事実が。

これがきっと私の知りたかった事実で真実で求めていた答えだ。

 

私が”みんなととなじ人間として生き方”と言われているものをかなぐり捨てて、

まったくべつの生き方を選ぼうとしていること。

いいよね、テレビに写っている人たちはぼけええっと生きて、食べ歩きだの恋愛だのを経験していられて。むかつくほどのんきで羨ましい。愛されているように見えて羨ましかった。

私はそういう人たちみたいに楽しく生きられなくて愛されていないんだと思って、つまらなくて死にたくなっていた。

愛されていない面ばかり見て、生理で腹減っていたけれど単に心が飢えていただけだった。

 

もしかしたらだれかはそこからでてきて私と同じ生き方を選ぶかもしれない。

が、

個人的に8割は無理とあきらめている。

こっちに残る人間の割合。物理的に死ぬわけじゃなくて、

境界線みたいもので切り替わるんだ。

希望的観測として6〜7割と言いたいところだけど。

そういうの嫌いなんだよな〜〜〜〜。本人次第じゃん。

てかもうそれ、祈りじゃなくて期待だしな!

どうこうしようとかそういう信仰心とか慈悲みたいな気持ち、

私ないんだよな。なんか知らんけれど。

そのへんドライだよな。私。わかっている、ていうか。

腹の中で。意識じゃわからないけれど、わかっている。

 

だからGAM瞑想会で祈ったところでどっか冷めている。

まあ無理だろうな、って。

人がどれほど祈ったところで、本人の意志以上に強いものはないからさ。

代わりたくない人たちは変えられないんだよ。

希望を持つのはいいよ、でも、変えようとしたら抵抗が生まれる。

私はそれをいやってほど感じてきた。

 

祖母の糖尿病を治してくださいとGAMで祈って症状というのか祖母の精神が緩和したのを見て、

なにかが冷めた。ああだめだと思った、この人たちはいくら祈ったところで、

気付かないし、変わらないんだと悟ったんだ。

もう変わる気がないんだ。そう悟ったんだ。

 

私一人のちからでもGAMのちからがあっても足りないな、って。

なにかわからないが、悟って冷めたんだ。わかったんだ。

言葉でどうこうと言い表せないけれど、わかってしまったんだ。

ショックだっただろうな、あのときの私も。

希望をもってGAMで祈った結果、祖母の病気が少し良くなったことで、

私はだめだと悟ったんだ。

きりがないって。

もう置いていくしかないんだって。

腹くくらなきゃって。

そう、直感したんだ。

いつまでも引きずっていてもだめだ。

私は、別の道をいくからさ・・・って。


身近なところにこそ、敵は潜んでいるものだな。
ただただ、信じていたものが私がしらなかっただけなんだと知った。

ヒーリングウォーターオラクルを引いてみる。

 

 

ヒーリングウォーターオラクル  ライトワークス

 

 

なんかどれも激しいカードだよな。

滝だの波だの。変容に至ってはもうなんの風景かわからない。

抗えない流れだよ、急流だよって言いたんだろうな。

でも波に乗ってね、がんばってね、ってかんじか。

べつに抗う気はないさ。ただ手放す方法を、けじめや、ケリっていうのか、こう、パッと手放せるところを模索しているんだ。

辛いよ。

でも流れに逆らったってもっと辛いだけ。

知ってる。もう十分知っているよ。

わかっている。いまはひとりで乗り越えることがいま必要なんだろ?

いまここで乗り越えることが先々で活きるんだろ?

はあ。それでも、辛い。

 

 

 

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