実感としては、
自分から離れようとしている
自分の一部を他人(客観的な別の人物)に感じる部分がある
自分のせいで生きにくいと感じる、その部分を変えたいと思ってしまう
自分を受けいれられていない。
生きにくい、思い通りにならない自分を振り払いたい気持ちもあり。
自分自身なのに、「こいつのせいで!」と憎たらしい気持ちもある。
でも紛れもなく自分だ。
本質からずれているとこういう感覚が出てくるのはハイヤーセルフを他人扱いしていたときで学習済みだ。
私は自分が思っている自分よりも、
なにまもっと違う自分かもしれない。
体質的に人格(文調や表現)に統一性がないことは別として。