結果、まだ父親の再婚女性へのわだかまりはあるものの、
父親が再婚したことは祝福できる気持ちにまで軽くなった。
セドナメソッドで地道に「父親との関係に新しい流れを創造します」というテーマで好き嫌いや利点不都合を手放していって、さいごのほうでは父親への抵抗がガラガラガラ〜っとケーキをくずすように取れていった。
セドナメソッドの欲求は、すべて抵抗だ。
ただの抵抗をさらに具体的に感じられるようにして、抵抗に気づきやすさを与えたり、いろんな抵抗を手放しやすくなるよう、やわらかくほぐす効果があるようだ。
いろんな抵抗があった。
取り入ろうと媚びを売るのも抵抗だし、気に入られようとするのも抵抗だった。
危険だからと相手に承認を求めようとするのも抵抗だったし、
罪悪感を与えるのも受け取るのも抵抗だ。
反応=なんらかの抵抗だ、と思うとわかりやすい。
反応したら抵抗していると気づきやすくなる。
怖いのか?相手が強いのか?弱いのか?
自分のほうが正しいと思っているのか?
自分を傷つけられると脅威を感じたのか?
いろんな抵抗が、反応=なんらかの抵抗に絡んでいるので、
これすべて、セドナメソッドで解放できる。
1800円(新品)一冊でいける。
怖いから我慢したり受け入れるのも抵抗だし、
怖いから機嫌取りをするのも抵抗だし、
怖いからって相手を支配するのも抵抗だし、
助けを求めないのも抵抗だし、
怖くて逃げようとするのも怖くて抵抗しようとするのも抵抗だ。
自分を傷つけることもほかの存在を傷つけるのも抵抗だ。
いがいと抵抗ってたくさん種類があるらしい。
言うことを聞かないからってしょうがないから相手の言うとおりにして落ち着かせるのも抵抗だ。
一概に「承認欲求」といっても、
自分から取りにいくがつがつした抵抗もあれば
そんなものいりませんっていうドライな抵抗もある。
承認を強要させるために相手をわざと低評価にしたり、
(これはコントロールしたい抵抗の場合もあるけれど、
承認でも制御でも安全でも抵抗であることは同じだった)
権力や立場を利用して言うことを聞かせるのも抵抗だった。
だから親の立場で子供に言うことを聞かせるのも、
子供の立場で親を脅迫して言いなりにさせるのも、
ぜんぶ抵抗。
なにかしら反応するのなら…防衛したり、反発したり、同情したり、被害を訴えたり、危険を回避しようとして我慢したり、気に入られようとコントロール「されているフリ」をしたり…などは、すべて抵抗だ。
「なにもしない」でいられるのがもっとも抵抗がない、無抵抗の状態だ。